3月17日、父は私の兄、シャロームに、家族で祈りを捧げるときに閉会の祈りをするように頼みました。彼はこれまで一度もそんなことをしたことはありませんでした。それから日が経つにつれ、父の健康状態が悪化していることが知らされました。

私は4月6日から10日まで帰国するつもりだったのですが、アイに大至急来てくれと言われたので、急いで向かいました。

3月24日、私は飛行機で家に帰り、ベッドに横たわる父を見ました。弱っていて、呼吸が苦しそうだったその姿は思い出すのもつらいです。

そんな父の姿を見て、胸が張り裂けそうでした。私たちは父と充実した時間を過ごすために最善を尽くし貴重な時間を過ごすことができました。彼が話せるときはいつでも、私は静かに耳を傾けるようにしていました。

4月2日、ベッドに横たわる父に別れを告げました。その次の土曜日には、母、弟のクリス、そしてアイと一緒に故郷に連れて行かれる予定でした。

ところが4月5日、父は少し座って歩けるようになりました!とても嬉しい光景でした!その翌日には、救急車まで歩けるようになり、みんなと少し話せるようにもなりました。

故郷に帰るとき、父が立っていられるように支えてくださり、「大丈夫だよ」ということを伝えるために、少しでも一緒にいられる時間を与えてくださった神様に、私は感謝します。

彼は昼時に故郷に着き、親友や甥っ子らと話すことができました。

4月7日から10日にかけて、父の健康は衰え始めました。

4月11日、イエス様が父を天に迎えるために来られました。

母によると、父は最期の時まで、見舞いに来た人たちに “God bless you. “と言い続けていたそうです。母は、このような機会を与えてくださったことを神にとても感謝しています。

1月にアイが帰国したとき、悲しかったですが、実家に戻ることは大きな慰めになりました。最後に実家に帰ったとき、私は彼女と一緒に過ごすことができ、それは幸いな時でした。同じように、イエス様が父を天の家に連れ帰ってくださった後にも神様の約束のうちに再び会えることを覚え喜びに満たされています。なんと大きな慰めでしょう!ある生徒が、自分の妻が亡くなったとき、妻がどこに行ったのか見当もつかなかったと言っていました。そのとき私は、私をイエス様への信仰へと導いてくれた父に感謝しました。そうでなければ、父がどこに行ったのか見当もつかなくなり、深く悲しんだでしょう。

父が主のもとに行ったというメールをアイから受け取ったとき、私はこんな素晴らしい父を与えてくださったこと、そして父がこれ以上苦しむ前に天に連れて帰ってくださったことを神に感謝しました。

私は父がどこにいるのか知っていますし、誰が父を休ませるために来てくれたのかも知っています。

通夜のとき、誰かが父は遺言を残していないと言っていました。しかし、父はちゃんと残していたのです。父は私にこう言いました:

1. 許しなさい。神はすでにすべてを終わらせた。私たちは皆、ただの人間なのだから。
2. を賛美することを忘れないこと。
3. 信仰を守りなさい。

父の人生を振り返って、私はいくつか気づいたことがあります:

1. 私たちの優先順位は最後に表れること。父の遺言は、すべて私たちの霊的な状態のための配慮でした。それが、多くの人が「父は遺言を残さなかった」と言う理由でしょう。
2. 私たちが生きる理由は、私たちの進む方向を決めること。COVIDの後も、彼は家族でデボーションを行うことを選びました。
3. 命を懸けるべきものを見つけた親は、自分の子供たちにも同じ道-巡礼者の道-を歩ませること。それは彼が始め、私たちが続けるために残したグループです。すべての信者は巡礼者であり、信仰にただ座って待っているのではなく、信仰の道を「歩む」べきなのです。

昨日は父の埋葬でした。弟のシャロームが私たち兄弟を代表し、ライブストリーミングを行うためにそこにいました。この一週間、敬意を表するために集まっていたコミュニティは、父との最後の時間を捧げ、祈りを捧げました。それは、父が生涯にわたって心に刻み、祈っていたコミュニティでした。神様は、ご自身のタイミングで心の願いをかなえてくださるのです。素晴らしい事です!

父曰く、神の愛と力と恵みと憐れみの中で喜びましょう!

私が泣き、これからも泣くのは、父に会えなくて寂しいからで、父を失ったと思っているからではありません。

この一連の出来事を共に覚えてくださってありがとうございます。神にあって死はなく、ただ帰郷があるのみです。神が私たちを励ましてくださいますように。

– アルマ ツバン
4/2024